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腰に楔でも打っとるんか?

というくらいに腰が重い課題があります。

投稿形態についてです。


より明確に言えばTwitterの運用方法についてです。

いつまでも踏ん切りがつきません。



現在:投稿時のリンクをツイートする

→そのうちしたいこと:画像や動画を直接はること、一部を覗けるように添付すること



 

??現在の形態の要因

Twitterを、コンテンツをアップロードする場ではなく、お知らせの場や飛行場とする。

これはTwitterのコンテンツとしての役目を削ぎ落とすため


_サービスの場所として、生活や人格とコンテンツが親密である。転載とリツイートの境界が近い、他者の介入が容易である。この点に危険を感じる。

⇄不可分である作品と生活、意識できた「コンテンツ」なのか?また、そうした場は既に市場として確立さえされており、拡散の場共有の場流通の場として有効なメディアである。


 

全然今まで伝えたいことなんてなかったんですよ。そしてそれを深く見つめる気力も好みもなかったんですよ。

珍しく最近になって伝えたいことができたんですよ。

そこで、見てもらおうとしても、その時だけより普段から発信している方がずっと見てもらいやすい。ってことはなんとなく前から想像できたのですが、思っていたよりも見てもらいたい欲が出てくる出てくる。


「伝えたいことのために伝えやすい手段をもちいること」が好きだと思っていたのに、リスクや心配で縮こまって次の手が出にくい。よくなーーーい!

わずかな転載や人格同一視よりもひろい拡散のために動こう!そして来るべくしてきた金銭的圧迫からの生存意識だとか、今までやりもしなかったことをやれる見込みにすることも、いったんちゃんと飲み込もう。

どこか嫌なプライドと、理想と、何かを見下している部分は時間がある限り茶化し続けられる。ので、まず違和感でもなんでも現状として形に残しておきましょう。そうして一つケリにして、言い訳にして進みましょう。


自分にお頼み申す。

というのが他にも何件かあったような…


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